学校法人橘学苑

Message from the Chairman of School Board

理事長あいさつ

理事長 池上 幸保
理事長
池上 幸保

橘学苑は、第二次世界大戦の最中である1942年(昭和17年)に、「国が滅びるのは悪によるのではなく、その愚かさによるものであり、平和な国を作るためには教育が最も重要である」との土光登美校主の強い信念のもとに開校されました。

創立の精神を示す以下の言葉は、今もなお私たちの指針として輝きを放ち続けています。

一 心すなおに真実を求めよう
一 生命の貴さを自覚し、明日の社会を築くよろこびを人々とともにしよう
一 正しく強く生きよう

これらの言葉には、校主の強い思いと、校主が信奉した「法華経」に説かれる「いのちの大切さ」「共に生き、共に栄える」という考えが込められています。この精神は今もなお、橘学苑の教育に脈々と受け継がれています。
現在、生成AIの進化に代表される科学技術の進歩は、私たちの生活をより豊かなものにしてくれることは間違いありません。しかし、その一方で、情報が過剰に溢れ、偏った考え方に影響を受け、愚かな行動に走る危険性が増していることも事実です。
橘学苑は、豊かな人間性、確かな知識、そして深い教養に基づいて自分で考え行動できる人材を育成するため、創立の精神を基盤にしながら、時代の変化を的確に捉えた教育改革を進めてまいります。
保護者、卒業生、卒園生、そして多くの関係者の皆様におかれましては、引き続きご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

令和7年4月吉日
学校法人橘学苑
理事長 池上幸保

The founding spirit of Tachibana Gakuen

学校法人橘学苑 創立
の精神

橘学苑 創立者 土光登美
校主 土光登美
明治4(1871)年~昭和20(1945)年
橘学苑 創立者 土光登美
土光敏夫
明治29(1896)年~昭和63(1988)年

第四代経団連会長
第一次臨時行政改革推進審議会会長
勲一等旭日桐花大綬章受賞

母を想う

土光敏夫

母が女学校を創設したいと決心したのは、何年頃か私にははっきりしないが、母が東京で暮らす日が多くなった昭和十二、三年頃からかと思う。当時の信仰のない女子教育に不満をもつようになって、それを口にすることが多くなった。そしてだんだん女学校を始める決心に移って行ったようである。そして私に協力を求めるようになった。当時、私は自分の専門の仕事に熱中して、昼夜なくそれに没頭していて、時間的にも気分的にもまったく余裕がなかったので、強くこれに反対していた。
私に協力をすすめることが無駄であると考えてから、母は独力でこれをやろうと決心したようである。やがて獅子が谷の丘に居を構えて、ここを学校の位置に選定してからの母の動きは実に激しいものであった。朝早くから夜遅くまで、毎日よく続くものと心配もし、不思議にも思えたのであった。しかも母はその時七十歳を越していたのである。そして女学校の設立もようやく軌道に乗って来たようであった。
母は実に強い意志を持っていた。子供に対しては実に寛大で、私の希望はそれがなんであっても、母はそれをすべて許してくれたと私は思っている。
母は、橘学苑を創立するために非常な努力と苦労をした。そしてその経営に心魂を打ちこんだ。そして自分の生命をも犠牲にした。しかし、母は種々な困難をものともせず、橘学苑を創立し、晩年を女子教育に捧げたということは、母の一生の強い信念がこゝに実を結んだといえよう。母はほんとうに信念の人であった。

「たちばなのかおり(昭和36年)」から抜粋

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