Message from the Chairman of School Board
理事長あいさつ
The founding spirit of Tachibana Gakuen
学校法人橘学苑 創立
の精神

明治4(1871)年~昭和20(1945)年

明治29(1896)年~昭和63(1988)年
第四代経団連会長
第一次臨時行政改革推進審議会会長
勲一等旭日桐花大綬章受賞
母を想う
土光敏夫
母が女学校を創設したいと決心したのは、何年頃か私にははっきりしないが、母が東京で暮らす日が多くなった昭和十二、三年頃からかと思う。当時の信仰のない女子教育に不満をもつようになって、それを口にすることが多くなった。そしてだんだん女学校を始める決心に移って行ったようである。そして私に協力を求めるようになった。当時、私は自分の専門の仕事に熱中して、昼夜なくそれに没頭していて、時間的にも気分的にもまったく余裕がなかったので、強くこれに反対していた。
私に協力をすすめることが無駄であると考えてから、母は独力でこれをやろうと決心したようである。やがて獅子が谷の丘に居を構えて、ここを学校の位置に選定してからの母の動きは実に激しいものであった。朝早くから夜遅くまで、毎日よく続くものと心配もし、不思議にも思えたのであった。しかも母はその時七十歳を越していたのである。そして女学校の設立もようやく軌道に乗って来たようであった。
母は実に強い意志を持っていた。子供に対しては実に寛大で、私の希望はそれがなんであっても、母はそれをすべて許してくれたと私は思っている。
母は、橘学苑を創立するために非常な努力と苦労をした。そしてその経営に心魂を打ちこんだ。そして自分の生命をも犠牲にした。しかし、母は種々な困難をものともせず、橘学苑を創立し、晩年を女子教育に捧げたということは、母の一生の強い信念がこゝに実を結んだといえよう。母はほんとうに信念の人であった。
「たちばなのかおり(昭和36年)」から抜粋